救済

『泊まり』『宿泊』で見つけた神待ち
東野圭吾の小説で「聖女の救済」っていうのがあるんだけど、俺、東野圭吾好きだから、ほとんど全部、小説で読んでるのね。
だけど、ドラマ化されてて、俺、自分のイメージ壊したくないから、ドラマは見るつもりなかったんだけど、妻がさ、ドラマで福山雅治が出てるからって、見始めて。
で、俺もついつい見ちゃってさ。
最終回が、その「聖女の救済」だったの。その湯川教授が、犯人を追いつめるところでさ、妻が突然、言いだすんだよ。
「ねぇ、誰が誰を救済したの?」って。
「『聖女の救済』がタイトルでしょ。誰が救済したの?されたの?私、分かんない」って。
うるせーの。なんかドラマでしっとりしてるところなのに、隣でぎゃんぎゃん言いだしてさ。
「うるせーな、ちょっと黙って見てろよ」って、つい怒鳴っちゃったんだよ。
そうしたら、もう妻がぷんぷん怒っちゃってさ。
ドラマが終わってから、もう大変だったよ。俺の方が救済必要なくらい。
妻が言うには、被害者も、犯人も、容疑者も誰も救われてない!って。
誰も幸せになってないし、誰も得してない。こんなの何の救済にもならないって。
俺は、なんていうかさ、女性の繊細な心の動きっていうか、その繊細さを形作る強さとかそういう、根源的なものを感じたよね。
人それぞれ感じ方、感性があるから、別にどう思ってもいいんだけど、なんていうのかな、うちの妻、感性がアメリカ人みたいなんだよね。
ディズニー映画みたいな、勧善懲悪でハッピーエンドじゃないと、受け付けないみたいな。
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